「花散らしの雨」「花散らしの風」という言葉、桜の散る季節には耳にすることも多いかもしれません。
しかしこの「花散らし」という言葉が、昔は単純に花を散らせるという意味だけではなかったことから、テレビ放送で問題になったこともあるようです。
出展:無料写真素材写真AC
花散らしは隠喩?

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花散らしとは、もともと旧暦3月3日を花見として、翌日若い男女が集会して飲食することだったとも、また3月3日に海辺で催す男女の酒盛りのこととも言われています。
問題なのは、3月3日に花見をして、「翌日」という2日間続けての催しで「若い男女が」夜に何もないわけない、何かいやらしい隠された意味があるのではないかという部分です。
昔の日本は今よりももっと性に対しておおらかだったので、そういうことは大いに考えられますが、今となっては断定することも出来ないことです。
でも昔の「そうだったかもしれない」風習を知り、それを現代に明るく再利用しても良いのではないかと思います。
春に花が満開になり、花散らしの季節に、恋人同士の気持ちも高まって、この高まりを解消するために「2人の花も散らそうよ」となったら、それは素敵なことですね。
いまも配慮は必要?

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昔の日本では、性は当たり前のもので、卑猥でも下品でもないものでした。ですから「花散らし」のような男女の風習があってもそれは下品ではなく、単純に楽しいものだったのでしょう。
しかし、現代ではそういうものには蓋をしようという動きが強いです。気象予報士が「花散らし」という言葉を使うことについて、視聴者から下品だと指摘された話があったようですが、過去にそのような風習の意味で使われていたからといって、現代でその意味を成していないものを、しかも単純に「花を散らす」という意味で使おうとする時に、配慮する必要があるのかどうか疑問です。
刑法第174条
刑法第174条には、わいせつの判断について、その時代の健全な社会通念に照らして判断すべきである、とあります。「花散らし」という言葉はわいせつではないと思いますが、判断は時代の通念に照らすべきという点を参考にしても、過去の風習を配慮して、言葉の使用を自粛すべき、とはならないのではないでしょうか。
過去の文化を楽しむ

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過去は常に、私たちの未来のためにあります。過去から学ぶとは、過去と現在をごちゃ混ぜにして発展のない未来を作ることではなく、過去を活用してゆくことです。
今も昔も、若い男女は恋に悩んでいるのは変わらないでしょう。
春爛漫、心も身体も開くこの季節に、前向きに「花散らし」を活用し、取り組んでみてはいかが?